1988会長講演要旨
イギリスのトラム・カー

海外鉄道研究会会長 小池 滋

○トラムの意味
 英語にはTramcarとStreetcarの二つの語があり、主としてトラム、トラム・カー、トラム・ウェイというのはイギリス、ストリート・カーはアメリカで使われている。
 ストリート・カーの意味は解りやすく、ストリートとは舗装された道路〜都会の道路〜街路のことでストリート・カーは街路を走る車、電車〜市街電車つまり市電ということですぐ理解できる。ドイツ語のStraβenbahnも同じ、ところが本家本元のイギリスで使っているトラムは、正体不明の語で、考えれば考えるほど解らなくなる…そこで辞書を引くと益々解らない…一番権威のある19世紀の終わりから作られたOxford English Dictionary(オクスフォード英語大辞典:この辞典は普通の辞書と異なって最も古い源の意味から時代的に現代まで順々にそれぞれの用例が、文献と年代がキチンと並んでいる−)でトラムを引くと、16世紀(1500年代)スコットランドで使われていた手押し車の把っ手、梯子や椅子の横木を意味していた。次の時代には炭鉱の手押し車の台枠、さらに荷車そのものからトラム・ウェイ−荷車の走る木または鉄の線路などの意味となっている。そして実際に人を乗せて線路を走る車としての意味をもつのは記録では1879年が一番古い−言葉が文献に登場するのは実際のものの登場より遅れるから、イギリスで実際に客を載せ道路上のレールの上を走る車をトラムと言ったのは1870年ごろと思われる。
 このようにイギリスのトラムは人に限らず荷物を載せ、古くさく土着的な意味をもっている。
 現在ヨーロッパでの市電は近代化されたものになっているが、イギリスでは古いものとして取り残され、ごく一部の地域にしか見られない。

○トラムの発生と沿革
 トラムは、まず人を載せる前に荷車として炭鉱その他で使われ、動力としては、はじめは人力、次は馬力(ホース・トラム)となり、このホース・トラムの時代から客を乗せる市内交通機関となった。馬がレールの上に、人を乗せた車を引いて走る馬車鉄道となったのは1860年ごろ。しかしそのルーツは不明で、何時何所のものが一番古いのか記録で確かめることはできない。せいぜい電化されたトラムということになればわかる。
 わかりやすいロンドンでの「客を乗せた一番古いトラム」の記録は、1861年ヴィクトリア停車場からウェストミンスター寺院のそばの国会議事堂のところ辺に馬車トラムが走っていた。さらに橋の向こう側、テムズ川の南側にも走った−という記録がある。
 こうしたことについて詳しいことは、次の本の索引を引けば各地のトラムについてわかる。
 Wingate H.Bett & John Gilham共著 "Great British Tramway Network" (第4版、1962年版)
 ところが、このころのトラムは原始的で、例えば、レールが路面上に直接据え付けてあり(路面上にレールが出っ張っているので)トラム以外の車や人などにとっては交通妨害となり、世論の昂りのため翌1862年には政府がこれを差し止めるに至った。
 1870年ころになるとレールを路面の溝の中に埋めることが行われるようになり、これは解決した。が、ただし、都大路の中心部からは締め出し、都市の周辺部の労働者街〜スラム街のような、当時の場末であった辺(今では賑やかになっているところ)で、トラムは労働者などにとっての安い乗物として走っていた。市民感情としてもトラムはそうした乗物という気持ちが強く、乗合馬車やバスが中心部を走るのはよいがトラムは目ざわりとされた。
 したがって車庫や工場もロンドンの中心部にはなく、こうした市民感情はロンドン以外の都市でも同じであった。が、ただ一つ例外として、観光用に作られ、後に市民の足となったトラムがある。
 それはベルリンで初めてシーメンスの発明で電気で走るトラムが走った…という情報が伝わり、イギリスでも電気で走るトラムが、すぐに実用化された。はじめは物珍しさもあり観光用の目的であった。すなわち、1883年、ブライトンという南海岸の保養地−ロンドンの真南、汽車で1時間ほどのところ−で、海岸の遊歩道に沿った短い距離のところに、イギリスではじめての電車が走った。−これは今も健在でこれを作ったドイツ人の名前を採ってVolk's Electric Railwayという(略称VER)−実用的な価値はないが、大変人気があるリゾート専用の観光資源となっている。あだ名は"トースト・ラック"…トースト立のような格好をした転換式の座席が並んでいる吹きっ晒しだが展望は大変よい…これはいわゆる市内電車ではなく第3軌条の専用軌道を走っている。
 同じ様に観光用として北アイルランドの北端、ジャイアンツ・コーズウェイ(Giant's Causeway:巨人の突堤)へ行くための電気鉄道がブライトンのすぐあとに開通した。
 こうして19世紀の終には次々と開通したが、その中で一番成功したのは、ブラックプール(イングランド北部、ランカシャー工業地帯リバプールから少し北のところ)海岸沿いにかなり長距離(町から町を結ぶほどの)ところに、1885年にトラムが開通した。はじめはやはり観光用であったが、だんだん実用化して、ブラックプールを中心にして北あるいは南に、似たようなリゾートとリゾートを結ぶ交通機関となった。
 ここでは路面を走り、第3軌条は使えないのでコンデュイット(Conduit)方式−2本のランニング・レールの中間に深く掘った溝を作り、その中に電気を通し、ここから集電する方式で、歩く人が感電する心配がないので、これは一時的にイギリスやヨーロッパで普及した。しかし、泥や雨水が入りやすく具合が悪いためだんだん使われなくなって今ではオーヴァー・ヘッド・ワイヤー(架空線)方式に改められた。
 これからトラムの黄金時代となり第2次大戦の終わりごろまでロンドンのほか地方の大都市には大体トラムが走るようになっていた。
 イギリスの街路は狭く、その中を一般の車やトラックのほかに乗合バスは走っている。そうした中に電車が割り込むわけで、道路の専有面積をなるべく小さくしなければ市民から苦情が出るため、イギリスのトラム・カーは殆どが2階建てとなっている。
 はじめは1階建てで屋根上に座席を付けていた…が、雨風の日には具合が悪いので「屋上屋を重ね」2階建てとなった。したがって架線が大変高くなっている。しかしこれは大変合理的なことで、2階建て電車で狭い専有面積の所で多くの人々を運ぶわけだから見上げた智恵である。
 イギリスの中央都市ブラックプールを含め殆ど2階建て市電となり、これはその植民地にも波及した。
 黄金時代についてはここで紹介しきれないので省略し、以下スライド上映に移る。
 なお、Crich Tram Museum(クライチ市電博物館)には現在各種の動態保存車がある。ここは山の中の石切場跡にある。

[スライド]
(1)ブライトンのVER−1970年のもの−
(2)クラパム交通博物館(ロンドン)のトラム部門−1963年のもの−
(3)ブラックプールの現役−同上−

(1988/01/31 海外鉄道研究会総会にて)


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