1994会長講演要旨
オックスフォード発ケンブリッジ行きの列車はあるか

海外鉄道研究会会長 小池 滋

 オックスフォードはロンドンのほぼ北西、ケンブリッジは真北に位置する。どちらにもイギリスの社会上層部に人材を送り続けている大学があり、両者はスポーツでも張り合ってきた。いまでもイギリスでは、大学というとこの二つが代表と考えられることが多い。
 その両者を直接結ぶ列車があるかどうか、あったとしたらどういう経路をとったのか、というのが今回のテーマである。答えを明かしてしまえば昔はあったが今はない。
 英国の鉄道は1923年に4大鉄道になったが、それ以前の各社の路線地図を含め、各時代のそれを集めた本としてBritish Railway Maps of Yesteryearがあり参考になる。かつての路線図は、最近のそれとは違い地形とのかかわりが示されているので興味深い。
 オックスフォードとケンブリッジは互いにライバルではあるが、なんといっても文化の中心であり、当然交流もある。しかし普通の人達が行き来することは少ないし、学生は全員寮生活、教授のかけ持ちということもないので、両都市を結ぶ交通は、必要ではあっても需要は少ない。多くの場合、両者の往来はロンドン経由になるのである。
 両都市を結ぶ路線は図のようになっていて、1910年にはこの路線を日に3往復の直通列車が走っていた。この頃が鉄道の黄金時代で、第1次世界大戦以後は、自動車の発達で鉄道は衰退をはじめる。加えて民間航空も発達してくる。第2次大戦後の事情は御存知のとおりである。
 1日3本の列車はしかし時間がかかり2時間半ほどを要した。山などのない平らな土地なのにである。その理由は、ロンドンから放射状にのびるメインラインとの接続駅で、観戦の列車の間隙を縫って横切っていかなければならず、例えば途中のブレッチリーでは20分も停車するありさまの支線だからである。
 英国の鉄道は、ロンドンから放射状に各社が競争で路線を建設し、サービスを競ってきたが、この間を結び合わせる環状路線をないがしろにしてきた。
 両大学都市間の列車ののろさについては笑い話の材料にもされるくらいで、E.M.Forsterの文学評論"Aspects of the Novel"(1927)にもある小説のストーリーが紹介されている。オックスフォードにきわめてセクシーな女が現れて、すべての男が失恋して自殺してしまう。彼女は「では次はケンブリッジへ行こう」と決心するのだが、ケンブリッジは無事。理由は、彼女の乗った列車がブレッチリーで止まって本線開通待ちをしたきりで、まだケンブリッジに到着しないから、というものである。
 それにもかかわらずBRになっても、1964年の時刻表ではあいかわらずわずかな利用客のために3本の直通列車が走っていて、2両編成のDCとなってはいるものの、1、2等ともにあり、所要時間はブレッチリーの待ち時間が短縮されたくらいのものである。
 BRの経営に関し、1963年にBR総裁Dr.Beechingは、赤字線は大幅に廃止すべきであると報告した。これを受けてかケンブリッジからベッドフォード間が廃止され、ついに直通列車はなくなったのであった。
 このように英国の鉄道は、ロンドンから各地へ向かう放射状の路線ばかりで、これらを結ぶ路線の少ないのが欠点で、そのうえBRは鉄道管理局を、東、ロンドン・ミッドランド、西、南と放射状に分離したので、ますます横の連絡が悪くなってしまった。これには技術的な事情が異なるということもあるのだろうが。
 こうしたクロスカントリー列車のサービスの悪さが、一層の鉄道離れを加速したことは否めない。
 東京の鉄道も放射線状が重視され、環状線(例えば武蔵野線、川越線、八高線、相模線、東武野田線など)のサービスが遅れがちになることは同様だが、管理を放射状に分けるようなことはせず、地域で分離する形になっているので、事情ははるかによいといえる。

(1994/01/15 海外鉄道研究会総会にて)


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