1997会長講演要旨
シャーロック・ホームズ物語と鉄道

海外鉄道研究会会長 小池 滋

 昨年の新年総会で「アメリカ文学と鉄道」序説を話したので、今日は本論を話すべきだが、千葉大学の小野清之教授の「アメリカ文学と鉄道」なる本が、今年は間違いなく研究社から出るので、本論はその方に譲る。これが出版されたら小野教授にここで講演してもらうつもり。

 私は昨年暮れ、偶然興味深い資料を入手した。それはシャーロック・ホームズの物語の中で、鉄道がどれほどの比重を占め、本国イギリスの研究者がいかに研究しているかを示している。本来、推理小説を読むには、前もって犯人やトリックをバラしてはいけない鉄則があるが、作者のコナン・ドイルはとっくに死んでしまっていて、文句は言えないので、ここで内容を紹介する。

 "The Sherlock Holmes Railways Journal"というこの雑誌がその資料であり、毎年1回発行で、イギリスのシャーロック・ホームズ・ファンクラブの一部門が編集している。ちなみに「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」もあり、私も入っている。この雑誌の創刊号は1993年、第2号は94年、第3号は95年で、去年に第4号が出たはず。

 イギリスのシャーロック・ホームズ愛好会は、「コナン・ドイル・ソサエティ」など数多くある。アメリカでも「べーカー街不正規軍団」という名のクラブもあり、フランクリン・ルーズベルトも入っていたといわれる。色々な人々がシャーロック・ホームズに関する文献・研究・エッセイを、この雑誌に載せており、3冊を読んだ限りではなかなか立派で、アングロ・サクソン流のユーモアも入っている。例えば、アントン・リチャーズ氏が編集長をしている、この発行社の名前は"Irregular Special Railway Company"直訳すると「不正規臨時鉄道会社」になる。Irregularは「でたらめ・勝手に走る」、Specialは「特別」ではなく「臨時」の意味である。このふざけた名前は、途中で出版されなくなることもあるという逃げ口上でもある。

 表紙のさし絵は原作のものを使用していて、画家はシドニー・パジェット。第1号の表紙絵は"Silver Blaze"という題の短編のさし絵の一つで、西イングランドで起きた、この名の競走馬の失踪事件を扱っている。ホームズが捜査を依頼され、グレート・ウェスタン鉄道の1等車で現場に向かう図柄で、狩猟用のハンチングをかぶり、パイプをくわえたこの姿が、以来ホームズのイメージとして定着した。向かい側が語り手のワトソン博士。

 第2号は、「ブルース・パーティントン」型潜水艦の秘密の設計図がスパイに盗まれたのを、ホームズが解決した話のさし絵を表紙に使っている。海軍省の役人の死体がロンドン地下鉄の線路脇で発見され、そのポケットに潜水艦の設計図が入っていたので大騒ぎとなり、イギリス政府はホームズに捜査を依頼した。ロンドンの地下鉄線路は完全に閉鎖された空間であり、そこに鉄道関係者以外の死体があるのは不思議である。当時の地下鉄はSL牽引であった。常識では車内で殺されて、扉から死体が投げ出されたと考えられるが、目撃者がなく、被害者は切符も所持していない。これをホームズが解決した。殺したのは別の場所で、犯人の家の裏手で信号待ちで停まっていた地下鉄列車の屋根の上に死体を乗せ、それが別の場所のポイントでの揺れか何かで落ちてから、発見された。ホームズがこの推理から犯人を突き止めたという話。この話には鉄チャンならすぐ気がつく矛盾がたくさんあり、場所も特定したくなる。そこでホームズの研究者が色々書いている。

 第3号の表紙は、ホームズを宿敵と狙う悪の親玉・モリアディ教授に脅されて、ホームズとワトソンがアルプスに逃げ出すところ。ホームズはブラッドショーの列車時刻表を持って大陸に行ったが、あまり役に立たなかったので、この絵はフランスの時刻表を拡大鏡で見ているという皮肉がこめられている。

 シャーロック・ホームズの物語としては、1887年に最初の短編「緋色の研究」が書かれ、1891年7月から雑誌「ストランド・マガジン」に連載された短編で一躍有名になり、最も新しいのは1927年(コナン・ドイル死去の3年前)に短編が書かれた。40年間に長編が4つ、短編が56も書かれた。英語版は無数に出版され、オランダ語やデンマーク語を含むヨーロッパ諸国の国語や、韓国語までも完訳本が出版された他、子供向けのマンガや絵本にもなり、世界中で読まれた。しかし内容には誤りや矛盾が多く、特に鉄道についてはコナン・ドイルの鉄道に関する無知が表れている。

 シャーロック・ホームズはドイルが書いたものではなく、語り手のワトソン博士が書き、ホームズは実在の人物であったとする者もいる。ホームズは引退後、サセックスで養蜂をやって、今でも生きているとの説もある。ホームズの伝記作家もおり、ホームズを1854年1月6日にヨークシャーで生まれたとしている。それは彼が大学生のころに事件を解決した話から類推したものである。ワトソン博士についても研究され、ロンドン大学で医学博士の学位をとり、アフガニスタンに軍医として従軍し、鉄砲で負傷してロンドンに帰り、その後何回も結婚したことになっている。

 こういう事柄は今までもさんざん研究し尽くされた感じであるが、皆さんもシャーロック・ホームズ全集を読んで、鉄道について研究されると良い。例えば、ホームズはロンドンの地下鉄についてどのくらい乗っていたか。彼はベイカーストリート221番Bに住んでいたが、ベイカーストリート駅はロンドン地下鉄の中心駅であった。今も同駅の壁にはモザイクでホームズの横顔が描かれている。しかし彼は地下鉄に乗ることはマレで、ほとんど馬車を利用していた。ホームズは紳士なので、地下鉄は「庶民の乗物」と軽蔑したのかも知れないが、当時の地下鉄には1等・2等・3等の区別があったのだから、1等車に乗ればよかったのに。彼はしょっちゅう乗り間違えもした。例えば、事件を追ってベットフォードに行くのに、ユーストン駅から汽車に乗ったが、正しくはセントパンクラス駅からである。バーミンガムの事件では、パディントン駅から列車に乗っている。今でならこれは考えられるが、1890年代ではレディング・オックスフォード経由の大変な回り道になる。パディントン駅発車直後、ホームズはワトソンに「あと70分でバーミンガムに着く」と言ったが、当時は70分で着くわけがない。このように疑問はいくらでも出てくる。

 先程のロンドン地下鉄の客車の屋根を使って死体を運ぶというトリックで、死体発見現場はオールドゲート駅近くの線路上になっている。サークル・ラインの東端近くの駅である。東行の列車から何かが地上に落ちたとの乗客の証言が新聞に書かれているが、環状線なので、内回りの列車か、外回りなのかの疑問が起こる。また犯人が死体を客車の屋根に乗せる時は、列車は停まっているはず。サークル・ラインが信号待ちで停まる場所は限定されるので、ウェストエンドのフルスターロード近くになる。そこはトンネルの天井がない部分で、回りに家があり、しかも家の裏手が線路に面しているという場所である。この究明には当時のロンドンの地図と時刻表が必要である。イギリスは資料の保存が良いので、これらは図書館で見られるであろう。このように雑誌をつくるネタは無尽蔵である。
 ロンドンの各鉄道ターミナルの建築史的な研究が、雑誌に連載されている。執筆者のキャサリーン・クック女史はメリルボーン区立図書館の司書で、鉄道には大変詳しい。私を含む日本のシャーロック・ホームズ研究者有志が、来年3月に海外の研究家を招いてシンポジウムを開く予定であり、彼女を呼んでホームズと鉄道に関する話し合いをするという案も出ている。これには皆さんも難問持参で参加されてはいかがか?

(1997/01/15 海外鉄道研究会総会にて)


会長講演要旨の扉ページに戻る



E Mail

Top Page


inserted by FC2 system